美術の中の家
第12回(最終回)
人小屋の住人(トーキョーワンダーサイト編)

2020.01.03高島 亮三
美術の中の家 第12回(最終回)
【これまでのあらすじ】美術家、高島亮三(2003年当時31歳)(第1回参照)は、美術表現の拠り所として、半年近く「犬小屋の散歩」に熱を上げていた(第2回~第7回参照)が、その過程における美術表現上の浮気(第8回参照)をキッカケに、年末に犬小屋と破局(第9回参照)。それから歳月は流れ、翌年(2004年)の春に新たな美術表現として戸建住宅をモチーフとした「人小屋(ジンネル)」を発表(第10回参照)したが、満足のいく表現には至らず(第11回参照)、シリーズ作品としての着地点が見えない苦悩の日々を過ごしていた。

時は2004年9月、所はトーキョーワンダーサイト(当時、東京都知事であった石原慎太郎氏の肝いりでできた現代美術関連の施設。施設出入口を飾るは、慎太郎氏の四男の制作によるステンドグラス作品…。もう少し下世話な事を知りたい方はWikiで検索でもしてみてください。)。こちらの施設内に整然と並ぶ6軒の人小屋。



これが犬小屋の散歩に始まる「美術の中の家」シリーズのたどり着いた、最終形態であります。とはいうものの、半年前の善福寺公園(第10回参照)や遊工房アートスペース(第11回参照)での展示内容とどこが変わったのでしょうか? とりあえず、3棟から6棟に増築されてます。また、遊工房アートスペースでの失態(第11回参照)を踏まえ、行為的な要素は無くなったようではあります。各人小屋の対面には、それぞれの屋根の色に合わせた「犬小屋の散歩」時代の写真が飾られています。



現存する当時の展示写真パネル

よく見ると、以前と比べて後方部の壁面に窓が追加されていますね。


比較参考画像(2004年5月の人小屋) 

これは当時、結構熱心に読んでいた、島田雅彦氏の著作からの影響かと思われます。

島田雅彦「優しいサヨクのための嬉遊曲」(福武文庫)表紙カバーより一部引用


島田雅彦「優しいサヨクのための嬉遊曲」(福武文庫)表紙カバーより一部引用

千鳥(注釈=作中の主人公の苗字)の部屋の窓は厚い曇ガラスで、窓の向こう側には黒いアルミ格子が入っていた。外からこの部屋をのぞくと、彼は幽閉者ででもあるかの如く見えるかもしれない。いや、彼は現にこのベットタウンのマンションにあっては幽閉者だった。
(島田雅彦「優しいサヨクのための嬉遊曲」(福武文庫)より冒頭の一部を引用)

密室性の高い今日の住宅には「幽閉」というキーワードが妙にマッチします。島田氏の鋭い言葉の感性が光ります。そこで「幽閉」というキーワードを手掛かりに、改めて家の捉え方を美術のアプローチから考察してみました。最終回にしてやっと「美術の中の家」らしくなってきましたね…。「家」、そしてそこに暮らす「私達」という存在。その地に住み続けることを半ば強制される戸建分譲住宅に自らの意思で「幽閉」されることによって、私達は呪縛感とともに、そこにまた一種の安堵感(または存在感)を得ようとしているのではないか(と、当時は考えたわけです。)。では、そのような考察が作品中のどの辺りに反映されているのでしょうか?

ここ?

映画「ローマの休日」より一部引用


どの辺り?

映画「ローマの休日」より一部引用


この辺り

映画「ローマの休日」より一部引用


そこか

映画「ローマの休日」より一部引用

おお…なるほど?? 少し解説しよう。人小屋から派生した鎖が、そのまま自らの足に絡みついている様子。だが、そんな言葉では表しきれないほど奥深い多義性を持ったビジュアル。これぞまさに私の求めていた美術表現。それにしても、たったこれだけの表現に至るのに、1年半もの月日を費やす長い道のりでした。この間に息子が一人できました(現在、中3)。

そして「美術の中の家」シリーズは、この発表を以って一つの区切りがつきました。と同時に自分の中に「(犬小屋の散歩のように)感情をぶちまけたような熱い表現でなく、(人小屋の最終形態のように)物事を否定でもなく肯定でもない、ドキュメンタリータッチで捉えたような乾いた表現。」という自作に対する確固たるクオリティの指針、つまりは「私の中の美術」というべき理念が構築されました。とはいえ、それから20年近くたった今でも駄作の量産ばかりです。しかしながら、いわばまさに(安倍首相…?)「人小屋から派生した鎖をそのまま家の足に取り付ける」という行為に至ったような「その瞬間」を求め、飽きなく「私の中の美術」探求は、これからも続いていくのです。

2003年春から2004年秋にかけて集中的に製作(活動)した「美術の中の家」シリーズ。特に前半の「犬小屋の散歩」は当時、特に公に発表する機会も想定せず、場当たり的に制作(活動)していたため、最終的には手元に膨大な記録写真のみが残り、そのまま十数年の時が過ぎてしまいました。今回、偶然にもこのようなコラムの執筆という場で、当時の行動を体系的にまとめ(多少虚実が入り混じっていますが…)、公表する機会を提供いただけたこと、cacapoさんにはこの場をお借りして厚くお礼申し上げます。そして、ご拝読いただいた読者の皆様、ありがとうございました。また、本コラム中、ここぞの場面で歌詞を引用させていただきました岡村孝子さん。復帰コンサートの際には必ずお伺いします。今はゆっくりとご静養ください。

最後に宣伝を少々。来月、2月14日(金)より、川崎市立岡本太郎美術館での第23回岡本太郎現代芸術賞展(http://www.taro-okamoto.or.jp/info/taroaward.html)に最新作「1984+36」を出品します。この出展作品が、私の言うところの「物事を否定でもなく肯定でもない、ドキュメンタリータッチで捉えたような乾いた表現。」の域に達しているか、という視点に注目していただければ、鑑賞の際の楽しみも増すかと思います。

2019年は月一連載のコラムの執筆を軸に回っているような一年でした。2020年はコラム軌道から外れ、ボイジャー1号・2号さながら、空の彼方まで飛んでいきたい。それでは皆さん、最後までお付き合いいただき、ありがとございました。Adieu!

高島 亮三
高島亮三(たかしまりょうぞう、1972年8月4日~)は、日本の美術家。東京都保谷市(現・西東京市)出身。趣味は、路傍の石採取・コケ鑑賞・ミニ四駆・岡村孝子など。第4級アマチュア無線技士。