建築士から離れようと思った話 ②

2021.01.15渡辺羅須
建築士から離れようと思った話 ②

考現学と建築

「使用者の視点」という意味では面白い学問があります。「考現学」という今和次郎という人が作った学問です。本人曰く考現学とは「時間的には考古学と対立し、空間的には民族学と対立するものであって、もっぱら現代の文化人の生活を対象として研究せんとするものである」としています。簡単に言えば、昔の事ではなく、現代の生活をよく観察して考えようという学問です。
この考現学の視点に立って建築を見たときに、雑誌に載っている建築の写真は資料として意味がありません。なぜなら建築写真のほとんどが使用している状態ではなく建築士が撮りたいように撮られているからです。建築物は計画とは別の使われ方をする事があります。考現学では使用されている”今の” 建築しか資料にはならないので、建築士の計画は資料にはならないのです。この視点は大学の設計の授業で一度も言われる事がない、計画される事がない話でした。(当たり前と言えば当たり前なんですけどね。)

この視点を持って著名な建築士の講演会に行くと、ほとんどが使用者の視点ではなく、計画の話をしていました。よくよく調べてみると世界的に有名な建築士の作品で、雑誌などで評判が良いものでも、使われている風景を実際にみると計画不備による住民トラブル、20年で立て直し、高額な維持費用など、お世辞にも良い状態と言えないものが多くありました。

ここに建築は可能か、私に建築士は可能か

話は少し変わりますが、2011年に「ここに、建築は、可能か」というテーマで「みんなの家」という建築が岩手県陸前高田に建てられました。2012年には世界最高峰の建築賞である金獅子賞というのを受賞しています。
この作品の面白い点は、ただ建築として美しさだけでなく、使用者が作品に手を加えていく面白さがあります。つまり実際に行くと、竣工写真のような綺麗な建築ではなく、大小様々なリノベーションを繰り返し行い、設計当初では考えられなかったような使われ方もされていました。思いがけない使用のされ方をしていて、お世辞にも綺麗とは言えなくなった建築は、それでいてちゃんと生きているように感じたのです。
実際に使用者の人に話を聞く機会があり、その時にとても印象的だったのは「建物の使われ方は変わるんだから、その都度自分で便利になるように作り変えてるんだ。」という言葉でした。大変そうではありましたが、とても豊かに生きているように感じました。 こんな風に人が建築をもっと楽しめるような、そんな建築を作ってみたいと思いました。

ただ、全ての人がこのような生活が好きなではなく、できる人は僅かです。私が感じていたのは好みや生活習慣、家族構成でさえも変わるのに、動けない建築。つまり変化する生活と変化できない建築の相性の悪さを感じます。
ただ、目標となるような建築の考え方はうっすら見えてきたように感じたので、今日はここまで。

渡辺羅須
1993年、東京都生まれ。好きな食べ物は納豆。好きな動物は猫。スポーツは大体好き。小学校~高校まではバスケをしてた。マイブームは建築。口内炎ができやすいのが悩み。