外から見た震災

2022.03.19
外から見た震災
2011年3月8日、私、兄、友人の三人でヨーロッパ7ヵ国を鉄道でめぐる旅に向け日本を出発した。
最初の国はイタリア。
ローマの空港からホテルまでタクシーに乗った。挨拶程度にぼったくられたが、無事ホテルに着いた。

2日間ローマを観光し、翌日からナポリへ向かう予定だった。
朝起きたら、携帯電話に日本にいる家族からメッセージが入っていた。

そう、その日は2011年3月11日 東日本大震災 が起きた日。

「こっちは大丈夫だから、楽しんできて。」

という母からのメッセージと、テレビもない安宿に泊まっていたから「なんかちょっと大きい地震があったらしい」くらいにしか思ってなかった。


写真右下の時間は日本時間。

日本で地震があった2時間後くらい。ナポリに向かう途中だった。

ナポリに着き、観光している時、何人かのイタリア人(たぶん)に

「お前ら日本人か?地震大変だったな。家族は大丈夫か? 頑張れよ!」みたいなことを言われた(たぶん)。

「何を大袈裟な。地震がちょっと大きかったからって騒ぎすぎだろ。」と思っていた。

翌日南部の街 バーリ に向かった。

初めてテレビがあるホテルに泊まり、ことの重大さに気がついた。

ニュースで、津波に飲み込まれる街を見て、三人とも言葉を失った。
さらに、原子力発電所が爆発…

「え…ウソでしょ…」

地震を体験していない私たちは、目の前の映像が現実の物とは思えなかった。パニック映画を見ているかのようだった。しかしこれは現実だ。

日本は大変なことになっている。私たちはイタリアにいる。何かできること…何もない。
どうしようもなかった。

とにかく、この旅行を楽しもう!あとのことは帰ってから考えよう。
と思い、翌日からいつも通り過ごした。

その後ローマに戻り、偽警官に所持金の3分の1程を擦られ、当時大学生だった私たちに豊富な財力はなく (今も)、もともと 貧乏旅行だったのがより貧乏になってしまった。


ローマの水道橋。

その後、スロベニア、オーストリア、チェコ、ドイツ、ベルギー、オランダと電車で旅をした。


スロベニア、ブレット湖に浮かぶお城。


オーストリア、グラーツのクンストハウス。(美術館)


ドイツ スイスの国境付近、スイスの家具メーカー、ヴィトラ社の工場があるヴィトラハウス。


チェコ、プラハの広場にて巨大なフライパンでじゃがいもを炒めている。


オーストリア、フンデルトバッサーが作ったゴミ処理場。


ドイツ南部、ノイシュバインシュタイン城。


ドイツ、シュツットガルトの街中にて、震災のあった日本へ千羽鶴を折る。私たちも折ってきました。

大学生の私たちにとって、見たい建築やデザインを見て、現地の食や文化を感じ、調べ工夫をして旅をしたことは11年たった今では貴重な財産になっている。
また、震災が起こったことによって、世界の人々が日本に目を向けてくれている時に、現地の人たちと話せたこと、親切にしてもらえたこと、今でも忘れない。

先日(2022年3月16日)また東北で大きな地震があった。

忘れんなよって言われた気がして、このコラムを書いている。

1991年生まれ。サッカー大好き。趣味は映画鑑賞、料理、散歩。