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最初の国はイタリア。
ローマの空港からホテルまでタクシーに乗った。挨拶程度にぼったくられたが、無事ホテルに着いた。
2日間ローマを観光し、翌日からナポリへ向かう予定だった。
朝起きたら、携帯電話に日本にいる家族からメッセージが入っていた。
そう、その日は2011年3月11日 東日本大震災 が起きた日。
「こっちは大丈夫だから、楽しんできて。」
という母からのメッセージと、テレビもない安宿に泊まっていたから「なんかちょっと大きい地震があったらしい」くらいにしか思ってなかった。
写真右下の時間は日本時間。
日本で地震があった2時間後くらい。ナポリに向かう途中だった。
ナポリに着き、観光している時、何人かのイタリア人(たぶん)に
「お前ら日本人か?地震大変だったな。家族は大丈夫か? 頑張れよ!」みたいなことを言われた(たぶん)。
「何を大袈裟な。地震がちょっと大きかったからって騒ぎすぎだろ。」と思っていた。
翌日南部の街 バーリ に向かった。
初めてテレビがあるホテルに泊まり、ことの重大さに気がついた。
ニュースで、津波に飲み込まれる街を見て、三人とも言葉を失った。
さらに、原子力発電所が爆発…
「え…ウソでしょ…」
地震を体験していない私たちは、目の前の映像が現実の物とは思えなかった。パニック映画を見ているかのようだった。しかしこれは現実だ。
日本は大変なことになっている。私たちはイタリアにいる。何かできること…何もない。
どうしようもなかった。
とにかく、この旅行を楽しもう!あとのことは帰ってから考えよう。
と思い、翌日からいつも通り過ごした。
その後ローマに戻り、偽警官に所持金の3分の1程を擦られ、当時大学生だった私たちに豊富な財力はなく (今も)、もともと 貧乏旅行だったのがより貧乏になってしまった。
ローマの水道橋。
その後、スロベニア、オーストリア、チェコ、ドイツ、ベルギー、オランダと電車で旅をした。
スロベニア、ブレット湖に浮かぶお城。
オーストリア、グラーツのクンストハウス。(美術館)
ドイツ スイスの国境付近、スイスの家具メーカー、ヴィトラ社の工場があるヴィトラハウス。
チェコ、プラハの広場にて巨大なフライパンでじゃがいもを炒めている。
オーストリア、フンデルトバッサーが作ったゴミ処理場。
ドイツ南部、ノイシュバインシュタイン城。
ドイツ、シュツットガルトの街中にて、震災のあった日本へ千羽鶴を折る。私たちも折ってきました。
大学生の私たちにとって、見たい建築やデザインを見て、現地の食や文化を感じ、調べ工夫をして旅をしたことは11年たった今では貴重な財産になっている。
また、震災が起こったことによって、世界の人々が日本に目を向けてくれている時に、現地の人たちと話せたこと、親切にしてもらえたこと、今でも忘れない。
先日(2022年3月16日)また東北で大きな地震があった。
忘れんなよって言われた気がして、このコラムを書いている。