パーティ bitty しょうこうぐん

パーティ bitty しょうこうぐん

パーティが苦手だ。対象がたくさんある場所で誰に話しかけてもいい、なにをしてもいい、ご自由にどうぞ!となったとき。どうすればいいのかわからなくなる。
運良く誰かに話しかけられたとしても「ああ。すっごいどうでもいい話した。ばかだなこいつとか思われているんだろうな。」とか、「次に出てくる言葉をどうせあなたはお見通しですよね。」とか。ああいった場所だと皮肉野郎になってしまう。そんなこときっと誰も思っていないだろうに。きっと、常に誰かに認められたいのだろう。生まれてこの方、自分の伝えたいことの3割も伝えられたことないぜとか思い続けているけど、本当はそもそも自分が3割の思考の持ち主なのだというのも最近よく思う。ただ、こんなことを頭で考え続け自分を可愛がり続けてもしょうがないもので。

「ちゃんこ会」というものをはじめた。シェアハウスに住んでいる私の、私による、私のためのパーティ。独りよがり。でいいと思っている。月一回食べる物を決めてそれをみんなで作り食べお話をする会。
「ちゃんこ会」という名前は、私のシェアハウスである建物が、もともと相撲部屋の寮であったことに由来する。ただそれだけ。

パーティは苦手だけど、他人と何かを共有したかった。苦手なりに、どうやったらお互い楽しく同じ場所時間を過ごせるのだろうと思った時、共同で何かを作ることは仲良くなる近道である。それから。その場に役割があること。で、私はその場を少し楽しめるのではないかと思った。そんなの無理やりと思うかもしれないが、会話だけで一から関係を築きあげることは私にとってはとてもハードルが高い。もちろん全員に役割が必要な訳ではない。
野菜を切っていれば、誰かが手伝おうかと声をかけてくれるし、企画者だから知らない人にお酒を注ぐことだって楽勝だ。パーティの企画者という役をもらった私は、無敵になれた気がした。

パーティの起源を調べていたとき。パーティ(宴)で仲良くなった人々が集まり住み、農耕民族(定住者)がうまれたと書かれている記事があった。うそか本当かはわからないが、なんとなくその感覚はわかる。ある場所に定住することと、パーティをすることは、切っても切れない関係なのだと思う。
ちゃんこ会は、今月で15回目になる。はじめは誰も来なくて一人でやっても楽しいだろうと思っていたが、今は違う。私の私による私のためのパーティは、もう私だけのものではなくなっているように感じる。料理が上手な村田さんが料理を教えてくれ、盛り上げ役のパーティボーイとパーティガール、記録係のリカちゃんもいる。美味しそーということばも楽しいねということばも。いい天気だね今日はってことばも、今は素直に言える気がする。
ぜひ遊びにきて。

フジシタ アヤ
1990年生まれ。会社員。2014年より高山建築学校にかよう。