【これまでのあらすじ】美術家の高島亮三(2003年当時32歳)は「犬小屋を散歩させる」行為を半年近く続けた結果、「犬小屋(私)とは何か」という犬小屋(自分)探しの旅をするステージに突入していた。
1990年当時、地図愛好家の私(高校3年生)の将来の夢は、国土地理院に就職し地形図の制作に携わる事でした。そのためには地理学科のある国公立大学に進学することが一番の近道であると勝手に思い込み、高校の進路相談室に置いてあった数少ない資料(注釈/当時はネット環境なんて皆無なので、みんな当たり前のように紙媒体だけで進学先を決めていた。)の中から、無謀にも大阪大学の人文地理学科に進路を定めます。しかしながら秋の文化祭(宴)の後に、改めて冷静に自分自身の学力などを鑑みて「地理学科へ進学から国土地理院に就職」という夢をあっさりあきらめることにしました。その後の変わり身は早く、「地図≒図形≒図案≒デザイン」という、安倍内閣による集団自衛権の拡大解釈も真っ青のアクロバットな持論を展開し、実技重視で学力の比重がだいぶ低い美術大学のグラフィックデザイン科に進路転換、その後も多少(かなり)の方向転換を経て現在に至ります。
確かに私は、若き日の夢をあっさりとあきらめた、岡村孝子さんに顔向けもできない(注釈/「夢をあきらめないで」が有名なシンガーソングライター)ような輩であります。ですが、小学生の頃からおこづかいの大半を地形図や地理関連の書籍の購入に費やし、それらを舐めつくすように熟読、そして気になる場所(注釈/経済力はないけど行動力はあったので自転車で行けるエリア)への巡検(現地調査)に明け暮れたその月日は、今もなお知識と体力の貯蓄としてわが身に宿っています。
そういったスキルを活かして、今回の犬小屋の探訪先のテーマである「東京近郊で様々な「家型」を見て犬小屋のルーツを探す旅」に選定したのは、そう!多摩ニュータウンしかないでしょう。多摩ニュータウンは、東京都稲城市・多摩市・八王子市・町田市にまたがる多摩丘陵に計画・開発された日本最大規模のニュータウンです。1965年(昭和40年)に都市計画決定。翌1966年(昭和41年)より事業着手。第1次入居は1971年(昭和46年)、諏訪・永山地区より開始され、2006年(平成18年)に多摩ニュータウンの新住宅市街地開発事業は終了しましたが、その周辺部では2019年現在でも民間企業による開発は続いています。
つまり多摩ニュータウンとは、古くからあった藁葺きの古民家に取って代わって、その時代時代の流行りの住宅(例えば、南仏プロヴァンス風とか北欧風とかアイルランド風とかカルフォルニア風とかアジアンリゾート風とか古民家風(←始めに戻る?)とか…)が次々に建てられた結果、この地を巡るだけで世界中の家々(もどき)が観れるという、巨大な住宅展示場のようなエリアなのです。
では早速、犬小屋のモデルとなったであろう家型をモモコ(メス?)と一緒に「家型」探しに行きましょう。
この辺りは永山地区と呼ばれる、比較的早い時期に造成された地域で、建物もマンションというよりは団地といった趣です。
その団地住民の子供達と記念撮影。
そして、閑静な住宅街を通り抜けると…
オレンジ色の屋根の住宅地が。これがいわゆる南仏プロバンス風住宅(特徴としては白壁・暖色系の屋根瓦・アイアン装飾。)というやつでしょうか…と思ったけど、外観や瓦の仕様などから判断すると、まだそういう◯◯風ブームの前段階っぽい趣です。
多摩ニュータウンは丘陵地を切り開いたので坂の街でもあります。なので早い時期からバリアフリーの萌芽も見受けられ、歩行者専用道路にはこんな坂道も設置されています。
遊具も地形を利用している。
ここら辺は北欧風(特徴としては、シンプル・モダン・木の温もり)?
横着して丘の上からニュータウンを見てみることに。
遠くの住宅群が何となく犬小屋に似ているような気がしてきたぞ。
なかなか犬小屋のルーツになりそうな家型は見つからない。途方に暮れるモモコ。
いつか遠くまで歩いてきたけれど、どこへ行けばいいのだろう。
手探り続けるたびに、本当の私が望む家型、見えなくなってく。
(岡村孝子「Kiss」より歌詞の一部を改変引用。)
一方、単独行動で多摩ニュータウンの西の外れを巡検していた仔犬小屋のコアカネ(メス?)は、結構収穫があったようです。残念ではありますが、前半の与太話が長かったため、ここで紙面がつきました。ではまた来月、犬小屋の探訪(多摩ニュータウン 逸脱編)をお楽しみに!