自分の場所

2018.12.11ジラフ

3人兄弟で育った私には、心安らぐ場所を家の中で探すことは困難だった。
寝るときはもちろん、着替える時も、歌を歌っている時も、常にどこかで声や物音がしていた。しかし、それは私にとって日常であり、ひとりになりたい時もあったが、その状況をどうしても変えたいと思ったことは、さほどなかった。

小学校の頃、私は放課後、児童館の学童クラブに通っていた。そこでは友人たちと、ベーゴマや、けん玉、卓球、一輪車、編み物など種々雑多な物にチャレンジした。ベーゴマや卓球では、児童館にいる大人たちに勝負を挑み、けん玉は検定も受けた。とにかく好奇心と向上心に満ち溢れていたのだ。

そんなある日、ひとりの友人が、児童館の中に自分たちの部屋がほしいと言い出した。みんなその意見にはすぐさま賛同したが、もちろん児童館が私たち専用の部屋を用意してくれるわけもなかった。
「ないなら作ればいいじゃん」これもすぐさま意見が一致した。そこから私たちの自分たちの部屋作りはスタートした。

場所は体育館の隅とすぐ決まった。しかし何で作るかはなかなか決まらなかった。卓球台や、平均台、一輪車、大量のボール…児童館にはたくさんの遊具があって、それらで次々にトライした。しかし、帰るときには片づけなければならない。片付けが大変なのはみんな嫌だった。片付けが好きな人なんているんだろうか。そうするとあまりしっくりくるものはなかった。

作りやすくて、片づけやすい。中で過ごす時間をなるべく長く取りたい。こどもだっていろいろ考える。ついに、ふたつの跳び箱を少し離して並べて、体操用のマットで屋根や壁を作るという、シンプルな形に落ち着いた。
 中は狭くて高温多湿で、決して居心地がいいとは言えなかった。それでも私たちは、自分たちの部屋を手に入れることができたのだった。
自分たちだけの部屋を持つなんて、今まできっと誰もできなかった。それを成し遂げた優越感や達成感で満ち溢れた。私たちは、毎日毎日飽きずにその部屋で過ごした。漫画やお菓子、トランプなどを持ち込み、遊んだりグダグダしたり他愛もない話で盛り上がった。

心安らぐ場所とはどこなのか。自分の場所だと思える場所はどこなのか。誰にも邪魔されず、自分の好きなことに取り組める場所、それはそうだ。自分の場所を持っているということを誰かと共有し、“自分たちの場所“とする。その中に自分もいる。ひとりになりたいが、誰かとも共有したい。その2つの感情を行ったりきたりしている。
ないものねだりはつづく。

ジラフ
1991年東京生まれ。好きな食べ物はアジフライ。