演劇と空間の密接な関係
第3回「自分の力ではどうにもできないこと」 

2019.05.18萩谷至史

身に覚えもないのに突然逮捕されてしまう世界
周りの人が突然サイになってしまう世界
そんな世界で、生きていけるでしょうか。

「不条理」という概念がこの世には存在します。
不条理とは、自分の力ではどうにもできない絶対的なことが存在する世界に、私たち人間が対峙するときに現れる不合理性のことです。具体的には、戦争や災害、死、病気などがそうですね。

世の中には、不条理をテーマにした作品がいくつかあります。私が一番好きなのは、不条理作家の代表的存在とも言われるフランツ=カフカの「審判」という作品です。
主人公ヨーゼフはある日、突然、やってきた男に逮捕されてしまいます。しかし、ヨーゼフは身に覚えがありません。なんとかして無罪を主張しようともがくのですが、結局罪状すら分からぬままに死刑執行人に処刑されてしまいます。

また、ルーマニアの劇作家にウジェーヌ・イヨネスコという人がいます。代表作のひとつに「犀」という戯曲があります。この作品では、主人公ベランジェの周囲の人々(隣人や友人や恋人)が原因不明に次々とサイに変わっていってしまいます。最後はベランジェを残して皆サイになってしまい、彼はひとり、人間として生きていくことになります。

この作品において、サイへ変身した人間は、イデオロギーに捕われた人間のメタファーとされています。この戯曲は1960年に書かれたものなのですが、彼は1930年代にルーマニアでファシスト運動が起こるのを見ていたことから、特に、ファシズムの批判だとも言われています。彼にとって、周囲の人々が大きな力であるイデオロギーに飲み込まれていくということが、まるで、突如サイになってしまうように不条理な出来事だったのでしょう。

どちらの作品も、人間に突如としてある出来事が降りかかってきます。そして、最後は自分の力ではそれをどうにもできずに終わってしまいます。
「突然の逮捕」「人間がサイになる」という設定は、突拍子も無い非現実的なもののように思えるかもしれません。
しかし、ニュージーランドやスリランカのテロ、シリアの内戦、東日本大震災、そして、身近な人の病や死など、私たちの生きている世界も、自分の力ではどうにもできない出来事が突如として降りかかってきてしまうことがあります。


萩谷の主宰する団体mooncuproofでも、そんな世界の不条理性を扱っています。
mooncuproof#6「ワタシタチにとって十分な時間について」は、「不条理な世界に生きる私たちは、絶対的な大きな力に対峙した時に、どうすればいいのだろうか?」というコンセプトを出発点に、不条理な世界とそこで生きる人々を描きました。


劇の中盤に、登場人物が無言で、三分以上、積み木をひたすら積み上げ続けるシーンが出てきます。BGMの中、俳優は黙々と積み木を高く積み上ます。しかし、無限に高く積み上がることはなく、必ず重力によって崩壊します。それでも俳優は諦めずに積み上げます。しかし、それでも崩れます。最初、積み上げと崩壊の繰り返しを観ていると、積み上げることが無駄に思えます。しかし、このシーンが三分続くと、崩れても積み上げようとする俳優の姿に、不条理に立ち向かう人間が見えてきます。


お客さんからも、「あのシーン、なんだかよくわからないんだけど泣けてきたんだよね」という声をいくつかいただきました。
あの瞬間、空間には不条理に立ち向かう人間の美しさが空間に満ちたんだと思います(多分!笑)


mooncuproofの演劇はこれからも「不条理な世界で生きていかなければいけない私たち」を描きつつ、そこに希望を見出していこうと試行錯誤をしていきます。

萩谷至史
1989年生まれ。茨城県東海村出身。劇作家・演出家。コーヒーとビールが大好き。 mooncuproof主宰。第16回杉並演劇祭 優秀賞受賞。