演劇と空間の密接な関係
第4回「荒野を歩く」

2019.07.13萩谷至史
演劇と空間の密接な関係 第4回「荒野を歩く」

人生は旅に例えられます。
時に、人生に迷子になった時、それは荒野を歩くようなものなのかもしれません。

「荒野」というワードから連想する戯曲があります。
ウィリアム=シェークスピアの「リア王」です。

シェークスピア、名前はご存知の方も多いと思います。
「ああ、ロミオ、あなたはどうしてロミオなの?」で有名な「ロミオとジュリエット」の作者です。そのほかにも「ハムレット」「マクベス」「オセロ」「夏の夜の夢」など、名作を数々残している、演劇史上の最重要人物の一人です。
彼の作品の中で私が一番好きなのが「リア王」という作品です。

国の領土を三人の娘に譲ろうと考えたリアという老王は、彼女たちに「どれだけ自分のことを愛しているか」をプレゼンテーションさせます。長女ゴネリルと次女のリーガンは口が達者で、巧みな言葉を使って王を喜ばせ、国を獲得します。一方、三女のコーディリアは実直な性格から、二人を非難し、本当の気持ちを王に伝えます。王はそのコーディリアの態度に激怒。結果、長女と次女に領土を分割して与え、三女は国を追い出されてしまいます。その後、王は二人の娘の元で暮らすことになるのですが、この長女と次女、最初に語った父への愛は何処へやら、王を邪魔者扱い。王はついに嵐の夜に荒野に追い出されてしまいます。

その後、王や周囲の人々に様々な悲劇が起こるのですが、今回は、この「荒野」というものにフォーカスを当ててみます。

私はこの戯曲を大学生になって初めて読みました。当時、私は将来について迷っていて、いわば、人生迷子の状態でした。そんな私の、目の前の道が見えずに彷徨うイメージが、リア王の荒野のイメージと繋がったのです。
「ああ、人生、不安を感じながら悩み生きることは、荒野を彷徨うようなもんだな」
と思いました。

そのイメージからできたのが「きざむおと、」という舞台です。
現在、劇場「板橋ファイト!」の座付作家として、劇場が企画する舞台の脚本演出をしているのですが、その最初の企画でつくった作品です。

田舎に住む若年性アルツハイマーになった元有名ミュージシャンの女性と、その女性の介護のために東京から田舎に帰って来ざるを得なかった娘の物語でした。
脚本を書き終え、演出を考えようという時、私は会場である「ファイト!」空間をヒントにすることにしました。
「ファイト!」の地面は、コンクリートの無機質なイメージをもっていました。

(ちなみに、写真は別作品のものです。紛らわしくてすみません、、、!)

この床を見た時、ふと私の頭の中にリア王の「荒野」が浮かんできました。

荒野は、記憶が消えてしまった後の何もなくなった頭の中を想起させる可能性を持っていました。しかも、その中を歩くことは、先の見えない人生を彷徨っていることもイメージさせることができます。

(舞台美術準備の写真。ぶら下げられた額は、様々な記憶のメタファーです)

そして、冒頭の以下のセリフが産まれました。

「荒野、を、歩く。
 ここには、かつて、たくさんの建物、たくさんの人がいた。
 建物、は、壊れて、廃墟。大地に消えていこうとしている。
 遠くから、かすかに、幸せそうな音楽。
 私は手探りで進む。ここにあるもの、は、いつか、全て消えて、何もなくなってしまう。
 だから、わたしは、ここに、刻む。
 自分の、生きていた、証。」

これを俳優の方には「ゆっくりと、物凄い広い荒野を歩いてるイメージ」で歩きながら言ってもらいました。
「リア王」の荒野は嵐が暴れている激しい場所でしたが、こちらの荒野は静かな荒野。
これが、なかなかに美しい時空間でした。

大学生のときに感じたリア王の荒野のイメージが、数年後にこうやって別の作品の演出のヒントとして立ち上がってくる。イメージの世界って面白いです。

ちなみに、リア王が荒野に追い出されるのは序盤。続きが気になる方は、ぜひぜひ戯曲も読んでみてください!

萩谷至史
1989年生まれ。茨城県東海村出身。劇作家・演出家。コーヒーとビールが大好き。 mooncuproof主宰。第16回杉並演劇祭 優秀賞受賞。