フィンランドのあれこれ
第5回目 「フィンランド で赤ちゃんを産みました」

2021.06.14Aki
フィンランドのあれこれ 第5回目 「フィンランド で赤ちゃんを産みました」

前回の記事は、フィンランドでの妊娠生活についてでした。あの記事を書いてから一週間後、無事に男児を出産しました。第5回目では、フィンランドの出産と産後に起こったできごとについてお伝えします。

陣痛は突然やってきた

出産予定日から1週間が経った土曜日の夜、私は映画を見ていた。映画の終盤、今までに感じたことのない力で腹を一発殴られた。胎動にしてはすごい衝撃。それからお腹がじわじわ痛くなった。まあ寝れば治るだろうと思いベッドに横になった。
目をつぶって寝ようとするものの寝れない。気づけば一時間経っていた。トイレに行くと破水した。ついにこの時が…!
夜中の1時半、ヘルシンキにある出産病院へ電話した。症状を話すと、朝の9時に来ても良いとのことだった。この時はまだ余裕だった。ベッドに再び横になる。お腹の痛みはどんどん強くなり、間隔も3-5分毎に1分間位続く痛い波がやって来るようになった。どうしようと思いながらも9時まで我慢せねばと思い耐えた。
結局寝れるわけもなく、朝の6時、限界を迎えたので再び電話した。そしたら、病院に来てもいいとのこと。タクシーで向かう。

ヘルシンキ唯一の市の出産病院

出産当日にして初めて訪問する出産病院

前回の記事にも書いたように、フィンランドは出産する病院と妊娠中の検診が別の場所にある。初めての病院、どこに受付があるのかもわからない。受付で手続きを済ませると、助産師さんがやって来て私と夫を分娩室へと案内した。コロナ禍だったが、出産の立ち合いは認められていた。朝の7時。私は一刻も早く麻酔を打ってほしかった。
8時前、麻酔医がやってきて麻酔を打ってくれた。背中にブスっと刺すタイプ。しかし、効かない。話と違うじゃないかと思いながら、追加のショットを頼む。
何回か追加で打ってもらい、もうこれ以上は打てないというところでじんわり腰のあたりが温かくなっていくのを感じた。分娩台から降りてトイレに行くこともできた。
さっきまでアーウーと唸っていたのに、会話できるようにもなった。
最初の麻酔を打ってから3時間。子宮口が全開になった。
麻酔が効いていても、陣痛の間隔はあった。完全に痛みが取れた訳ではなかったけれど、90%はなくなっていたと思う。
そして11時45分、ついに誕生した。

病院について5時間で出産だった。初産にしたらすごく早かったらしい。
分娩室には、バランスボールや天井からぶら下がっているスイングなど、色んなものが用意されていたけれど、私は分娩台にずっといた。そういえば、助産師さんに「どんなスタイルで分娩したい?」と聞かれたが、「普通のでいいです」と答えた。私を担当してくれた助産師さん、ずっと励ましたり誉めたりしてくれて良い助産師に巡り合えたと思った。

戦いのあとの分娩室

出産後は病院かホテルに滞在する

出産後は、家族部屋という名の個室へと移動した。個室ならば夫も宿泊ができる。フィンランドは母子同室が一般的だ。ヘルシンキには、この出産病院のすぐ近くにホテルがある。なんと、そのホテルにも宿泊可能なのだ。ホテルには病院の職員も在中しているので、母子ともに健康な状態であれば初産であってもそのホテルを利用できる。料金も病院で宿泊するのと同じだそう。ただ、ホテルは病院のような細かい設備はない。私たちもホテルを希望していたけれど、出産後、息子の心拍数が低かったようで精密検査のために病院にとどまった。

授乳 授乳 授乳

「どう?赤ちゃんの飲み具合は?」
という質問を数時間ごとに部屋にやってくる職員に聞かれる。
フィンランドは液体ミルク発祥国らしいけれど、国をあげての母乳育児を推奨している。検診で通うネウボラでも、出産病院でも母乳を推奨する。(もはや義務)
でも母乳なんてそんな簡単に出るわけでもなく、入院中は液体ミルクをもらっていた。
「まず授乳してからミルクあげてね」
「市販のミルクは次第に減らすか無くす方向でね」
と、この母乳教育が産後の私のメンタルを少しずつ不安にさせていった。
たったの2泊だったけれど、もう3日目は早く家に帰りたいと思うようになり、母乳教育から逃げた。

フィンランドの病院食

日本の産院食をネットで見た。その豪華たるや。ホテルのようなメニューで盛り付けも繊細で、産後にこんな食事ができたらいいなぁ~と思った。
フィンランドの病院食はというと、
・ケチャップもマスタードも付いてこないソーセージ(極太二本)
・ドレッシングなしのちぎったレタス
・トマト丸一個スライスしました
・自分でオープンサンド作れセット(チーズ大量)
・朝食はオートミール粥
・独特な酸味と食感のピンク色のデザート

一度、マーガリンがついてこないパンの時があった。こういう日もあるのか、と思って食べていたら、忘れてたわ!とパンを完食したころにマーガリンをもらったこともあった。このようなラインナップの病院食であったが、なんと私は毎回完食していた。とにかくお腹が空いていて食事の時間がいつも待ち遠しかった。

写真右下の料理はオートミール粥

出産にかかった費用は約44000円

退院して2週間ぐらいが経ったころ、家に請求書が届いた。
請求額は293.4ユーロだった。日本円にしておよそ38000円。
日本には、42万円が支給される出産育児一時金という制度があるが、フィンランドにはない。かといって、出産費用として特別に請求される費用もない。293.4ユーロのうちわけは、入院費1日48.9ユーロが3日分、私と夫の二人分。という計算だった。私が一人で宿泊していたら、金額はここからさらに半額になっていたし、宿泊が4泊になっていたら、金額は2倍になっていた。ちなみにこの293.4ユーロの金額の中には、出産時の麻酔代、入院中の食事代や息子に施された精密検査代もすべて含まれている。と、思っていたがあれから三か月後請求書がまた届いた。48.9ユーロだった。何の請求書かと思ったら、息子が受けた精密検査代だった。なので合計44000円。それでもリーズナブルな代金なのだと思う。ケチャップもマスタードもついていないソーセージに対して文句を言ってはいけない。

出産から5日後、-20℃の中を初外出

母乳教育はそう簡単に終わらない。退院からわずか数日後、私たちは母乳外来の為に再び出産した病院へやって来た。フィンランドは、産後からまもなくても特に配慮はない。-20℃、新生児に何を着させたらいいのか全く分からなかったので、とりあえずタンスから見つかる防寒着をすべて着させてみた。外出用に用意した液体ミルクが凍結したらどうしようと思ったので、タオルにくるんで鞄に入れた。

ありとあらゆる防寒着

産後も続く母乳教育

退院してから約三か月が経とうとしている。退院から一週間目には、ネウボラから保健師が家庭訪問をしてくれた。身体測定や、赤ちゃんの経過観察をしてくれた。もちろん母乳教育も。家庭訪問の後は、一ヶ月、二ヶ月検診の二回だけネウボラに行くのかと思っていたら、かれこれ1~2週に1回はネウボラに通っている。完全母乳派で、市販のミルクの使用をどうにか減らそうとするネウボラ。私もミルクを減らす方向で頑張ってみるものの息子の体重が増えない時もあり、何度もネウボラに行って体重を測っていた。(これが結構プレッシャーにもなる)
ネウボラの魅力の一つに担当保健師制度というものがある。妊娠の時から同じ保健師が出産後もかかわってくれるのだ。が、私が最後に担当保健師に会ったのは去年の11月。それからおよそ半年、毎回違う保健師にあたる。私の担当保健師に何があったのかわからないけれど、私は今までに10人の保健師に出会った。10人いれば10通りの考えがあるわけで、母乳育児を推奨しているという大きな軸は同じだけれど、微妙に保健師によって考え方が違う。なので、毎回変わる保健師の意見に左右されていたら私の気持ちが持たないので、できることはする、できないことはしないと心がけている。

出産後の保健師の家庭訪問でもらった資料

退院3日目にして母乳外来に召集されたり、今週もまたネウボラか。とちょっとめんどくさいなと思うこともあるけれど、この強制的に外出すること、いろんな人と話をすることで一人で抱え込まない仕組みになっていると思う。フィンランドの医療や福祉では“事前予防”に力を入れている。大きな問題になる前に、小さなサービスでどんどんサポートしていこうという考えだ。
今週またネウボラに身体計測で行く。大きくなってるといいな。

クマのぬいぐるみに話しかけるのがブーム

Aki
兵庫県出身。日本で幼稚園教諭として勤務したのち、現在フィンランドで保育士をしながら暮らしている。フィンランドでSmooth Groove Orchestraというバンドに所属している。趣味はピアノと絵をかくこと。インスタグラムhttps://www.instagram.com/finlandogo/