美術の中の家 第11回
人小屋の住人(遊工房アートスペース編)

2019.12.05高島 亮三
美術の中の家

【これまでのあらすじ】美術家、高島亮三(2003年当時31歳)は、美術表現の拠り所として、半年近く「犬小屋の散歩」に熱を上げていたが、その過程における美術表現上の浮気をキッカケに、年末に犬小屋と破局。それから歳月は流れ、翌年(2004年)の春に新たな美術表現として戸建住宅をモチーフとした「人小屋(ジンネル)」を発表した。

都立善福寺公園にほど近い場所にある、遊工房アートスペース。前回の最後に宣伝しましたが、11月中の3週間、私はここで個展を行なっていました。

個人的にはなかなか良い展示だったと思うんだけどもね。それはともかく、実は十数年前にこの遊工房アートスペースで「人小屋(ジンネル)」の展示を行なっていたのです。

善福寺公園で展示していた人小屋3棟(詳細は第10回を参照)を遊工房アートスペースに移築し、ここでは、それぞれの人小屋ごとに「行為」を通じて「住む(暮らす)こと」に関しての考察を行いました。と、宣(のたま)ってみたものの、実際のところ15年以上経った今現在、当時、自分が何を思いどのように考察を行なおうとしていたのか、どうも正確に思い出せないのです。なので、ひとまず筆を進めることで当時の思考が蘇ることを期待しましょう。まずは人小屋にテーマを設定してみてはどうだろうか? なので「知識」「食欲」「体力」をそれぞれの人小屋に設定してみた。ここまでは覚えている。しかし「住む(暮らす)こと」とそれぞれのカテゴリーにどういう関連性を導くつもりで設定したのか、やはりとんと思い出せない。このままもう少し筆を進めることにしましょう。


さらに「家(家庭)に繋がれている(縛られている)様を、具体的に体験してみよう」ということで、首輪に繋がれてみることにした。ああ…安易な発想法もカメラ目線も、あまりに痛々しい。

なんか違う。もう少しラディカル(根源的)な追及が必要だ。もっと犬と同じ視線になって、もっとありのままの自分を見つめなくては。

ありのままの 姿見せるのよ
(エルザ「Let It Go ~ありのままで~」より一部引用。)

と雪の女王も言っているように、ありのままとは、すなわち素(す)の自分になることである。

若手芸人とヤングアーティストはすぐに脱ぎたがる..

ありのままの心と体になって、まずは「知識」の人小屋で、このやるせない気持ちを書き留めてみた…

次に、「食欲」の人小屋で、ジャンクフードを貪(むさぼ)ることで、このやるせない気持ちから逃避したくなった…

最後に、「体力」の人小屋で運動をすることで、このやるせない気持ちを払拭しようと試みた…

のび…

飢えたヤセ犬のようだ…

ああ…

もはや、自分でも何をしているのか、よくわからなくなってきた。

いつか遠くまで歩いてきたけれど、どこへ行けばいいのだろう。
手探り続けるたびに、本当の私が望む生き方、見えなくなってく。
(岡村孝子「Kiss」より歌詞の一部を(また)引用。)

岡村孝子6thオリジナルアルバム「Kiss ~a cote ge la mar~」ジャケットより一部引用

今回はあまりに痛々しい画像を披露してしまったんでね、最後くらいは清々しい画像で癒されいただきたい。それにしても完全に迷走状態に陥ったコラム「美術の中の家」。というわけで、次回は最終回。無論、ラストはキチンとまとめますよ。ではでは来月、というか来年、年明け早々をお楽しみに。

高島 亮三
高島亮三(たかしまりょうぞう、1972年8月4日~)は、日本の美術家。東京都保谷市(現・西東京市)出身。趣味は、路傍の石採取・コケ鑑賞・ミニ四駆・岡村孝子など。第4級アマチュア無線技士。